14世紀の歴史

【14世紀の歴史】
 世界ではペスト(黒死病)が大流行し全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。その後、ギリシア、ローマ古典古代の文化を復興しようとする文化運動が始まった、まず14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に文化運動が広がった
 一方、日本では鎌倉幕府における北条得宗専制体制が末期となり、非北条系の御家人らの不満が爆発。朝廷では政治の一新を狙う後醍醐天皇が即位し、足利尊氏新田義貞らの有力御家人、楠木正成ら悪党らの活躍によって鎌倉幕府が滅亡した。その後後醍醐天皇による建武の新政は御家人の不満を解消することにならず、足利尊氏が新たに武家政権創設を目指した。朝廷も戦乱に引きずられ南北朝に分裂し、室町幕府が成立するが、戦乱が続いた。14世紀末に室町幕府3代将軍足利義満の時代に南北朝合一を果たし、幕府に脅威となる有力守護大名を抑制、室町幕府は安定・最盛期を迎えることになる。

1301年
<中国・元>オゴタイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。
後伏見天皇が譲位し、第94代後二条天皇が即位。
北条師時鎌倉幕府第10代執権に就任。
ハンガリー国王アンドラーシュ3世の死によりアールパード朝が断絶。
イングランド王エドワード1世が王子エドワードに「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授ける。⇒イングランド王位継承者としての「プリンス・オブ・ウェールズ」の始まり。
1302年
教皇ボニファティウス8世の回勅「ウナム・サンクタム(唯一聖なる)」。
フランス王フィリップ4世による三部会の招集。
ブリュージュの朝課事件と、続く金拍車の戦い(コルトレイクの戦い)でフランドルがフランスから独立。
1303年 アナーニ事件⇒フランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件。フランスの絶対王政化と教皇権の衰退を示す象徴的事件となる。
1305年
元のテムル(成宗)にオゴタイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。
嘉元の乱(北条宗方の乱)。
1306年
チャガタイ家のドゥアがアルタイ山脈以西からオゴタイ家を追放し中央アジアを統一。
ボヘミア国王ヴァーツラフ3世の死によりプシェミスル朝が断絶。
ロバート1世がスクーンでスコットランド国王として戴冠する。
1307年
フランス王フィリップ4世が国内のテンプル騎士団団員を一斉に逮捕。
ハルジー朝のマリク・カーフールの南征始まる。
ヤーダヴァ朝(1307年)、チャンデーラ朝(1309年)、カーカティーヤ朝(1310年)、ホイサラ朝・パーンディヤ朝(1311年)に遠征、貢納を約束させる。
1308年
神聖ローマ皇帝アルブレヒト1世が甥ヨーハンに暗殺される。
ハンガリー国王カーロイ1世が即位し、ハンガリーアンジュー朝が成立。
後二条天皇が没し、第95代花園天皇が即位。
守邦親王鎌倉幕府第9代将軍となる。
ルーム・セルジューク朝滅亡。
1309年
アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)。
聖ヨハネ騎士団がロドス島を奪取し、ロドス騎士団と呼ばれる。


1311年
ヴィエンヌ公会議
イングランドのリンカン大聖堂が完成。尖塔までの高さは160mで初めてクフ王のピラミッドの高さを超えた建造物となる。
北条宗宣鎌倉幕府第11代執権に就任。
1312年
北条煕時鎌倉幕府第12代執権に就任。
ジェノヴァの航海者ランチェロット・マルチェロカナリア諸島に到達。
1314年
バノックバーンの戦いで、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。
フランスで「ネールの塔」事件が発覚する。国王フィリップ4世が死去。
1315年
北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。
1315年-1321年頃
ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷河期。
1316年
北条高時鎌倉幕府第14代執権に就任。
1317年
鎌倉幕府持明院大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる(文保の和談)。
アヴィニョン教皇ヨハネス22世の回勅「クォルムダム・エクスィギト」により清貧論争が激化。
1318年
花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
イル・ハン国宰相であったラシードゥッディーンが処刑される。

1320年
デリーでトゥグルク朝が成立。
1320年の羊飼い十字軍。
スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。
1321年
ダンテ・アリギエーリが『神曲』を完成させ、この年に死去。
1322年
ミュールドルフの戦いで、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。
1323年
南坡の変で、元の皇帝シデバラ(英宗)が御史大夫テクシに暗殺される。
この頃、元から日本へ向かう東福寺造営料唐船が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没(新安沈船)。
1324年
後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。
マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。
1325年
イブン・バットゥータのメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり( - 1355年)。
アステカ人がテスココ湖の島に都市テノチティトランを築く。
1326年
嘉暦の騒動
北条貞顕鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。
北条守時鎌倉幕府第16代執権に就任。
チャガタイ・ハン国の東西分裂。
オッカムのウィリアムが異端宣告を受ける。
1327年
王妃イザベラによりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。
ジェーラムの戦いで、ムハンマド・ビン・トゥグルクがチャガタイ・ハン国を撃破。
1328年
元で天暦の内乱。
フランスでカペー朝が断絶。フィリップ6世が即位しヴァロワ朝が始まる。
キエフと全ルーシの府主教座がウラジーミルからモスクワに遷される。
1329年
マイスター・エックハルト(1328年に死去)の著作と教説が異端宣告される。


1330年
イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。
1331年
元弘の乱( - 1333年)。
8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。
9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。
10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。
1332年
鎌倉幕府後醍醐天皇隠岐島に流す。
1333年 鎌倉幕府の滅亡
2月 後醍醐天皇隠岐島を脱出し、船上山の戦いで幕府軍を退ける。
5月 足利尊氏六波羅探題を制圧する。
5月 新田義貞が鎌倉を陥落させる。東勝寺で北条氏一族郎党が自害(東勝寺合戦)。
5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。
建武の新政の始まり。
6月 後醍醐天皇が京都に入る。
7月 記録所を復置する。
9月 雑訴決断所を設置する。
1334年
二条河原の落書が書かれる。
南禅寺を五山の第一とする。
スコットランド王デイヴィッド2世がフランスに亡命。
1335年
北条時行中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害。
ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。
イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。
1336年
建武政権の崩壊。
3月 筑前国多々良浜の戦い足利尊氏が多々良浜に菊池武敏を破る。
5月 湊川の戦い足利尊氏新田義貞楠木正成を破る。
11月 後醍醐天皇北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が「建武式目」を定める。
12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れる(南北朝分立(1336年 - 1392年))。
ハリハラとブッカがトゥグルク朝から独立を宣言し、ヴィジャヤナガル王国を建国。
1337年
イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。
フランドル伯を追放したヤコブ・ヴァン・アルテベルデがフランドル都市連合を結成する。
1338年
室町幕府の成立
5月 北畠顕家高師直らと堺浦石津に戦うが敗死。
7月 新田義貞斯波高経らと越前藤島で戦うが敗死。
8月 北朝足利尊氏征夷大将軍とする。足利尊氏室町幕府初代将軍となる。

レンゼ選帝侯会議により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。
1339年
8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇、52歳で没する。


1340年
サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝イベリア半島から撤退。
ハールィチ・ヴォルィーニ戦争始まる( - 1392年)。
1341年
塩冶高貞高師直の讒言により討たれる。
東ローマ帝国ヨハネス5世とヨハネス6世の帝位争い。この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失。
1344年
アラゴン王国バレアレス諸島マヨルカ王国を併合。
1345年
足利尊氏夢窓疎石を開山に迎え天龍寺が創建される。
1346年
クレシーの戦い。
ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。
デンマーク王ヴァルデマー4世がエストニアドイツ騎士団に売却する。
1347年
ペストが流行し、ヨーロッパや北アフリカの人口が激減( - 1351年)。
カレー包囲戦によりカレー市がイングランド軍に降伏(「カレーの市民」)。
1348年
南アルプスのフリウリ地方からケルンテン地方に至る大地震発生。フィラッハで最大級の被害。
四條畷の戦いで、高師直楠木正行を敗死させる。
イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。ガーター勲章も制定。
1349年
京都四条河原で「(貞和5年の)桟敷崩れの勧進田楽」。
セルビアで「ドゥシャン法典」が公布される。


1350年
タイでアユタヤ王朝成立。
室町幕府足利直義高師直との抗争が勃発(観応の擾乱 - 1352年)。
1351年
紅巾の乱。
正平の一統。
ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス主催の教会会議で静寂主義(ヘシュカスム)の教義が勝利する。
1352年
応安の半済令施行。
1353年
イルハン朝の滅亡。
1356年
神聖ローマ皇帝カール4世によって、帝国の基本的な体制を規定する金印勅書が発布される。
ポワティエの戦い。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。
元朝で交鈔が廃止になる。
1357年
ポルトガル国王ペドロ1世の即位。惨殺された愛妾イネス・デ・カストロを王妃として復権させる。
1358年
足利義詮室町幕府第2代将軍となる。
ジャックリーの乱。
商人ハンザと都市ハンザの統合でハンザ都市同盟が正式に発足。
ルドルフ4世(建設公)がオーストリア大公を自称する。
1359年
キプチャク・ハン国ジョチ・ウルス)、君主(ハーン)乱立時代に入る( - 1378年)。


1360年
ブレティニ・カレー条約が結ばれる。
イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王のガスコーニュ・ギュイエンヌ領有をフランス王は承認。
1361年
康安の変で、幕府執事細川清氏が佐々木道誉らにより失脚させられる。
スコータイ朝のリタイ王がスリランカから高僧を招き出家する。
これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。
1362年
デンマークハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年)。
1363年
ヴァロワ家のフィリップ豪胆公がブルゴーニュ公となる(ブルゴーニュ公国の成立)。
?陽湖の戦い。
1366年
オスマン帝国のムラト1世がブルサからエディルネに遷都。
貞治の変で、幕府執事斯波義将とその父斯波高経佐々木道誉らに失脚させられる。
1368年
後村上天皇が没し、第98代長慶天皇が即位。
足利義満室町幕府第3代将軍となる。
朱元璋が明を建国。
アウクスブルクツンフト闘争が成功する。
1369年
カスティリア王ペドロ1世を殺害したトラスタマラ伯エンリケがエンリケ4世として王位に就く(トラスタマラ朝の成立)。
ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯マルグリット3世の結婚。


1370年
ティムール朝の成立。
リモージュの虐殺。
シュトラールズント条約がデンマークハンザ同盟で結ばれる。
1375年
アステカ王国の成立。
八聖人戦争で、フィレンツェローマ教皇庁が戦う( - 1378年)。
キリキア・アルメニア王国マムルーク朝に滅ぼされる。
1376年
イングランドで「善良議会」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。
空印の案。
1377年
イングランドで「悪政議会」が召集される。
1378年
花の御所の造営開始。
教会大分裂(シスマ)。
フィレンツェでチョンピの乱が起きる。
1379年
康暦の政変で、管領細川頼之が斯波義将らに失脚させられる。


1380年
クリコヴォの戦いでルーシ諸侯連合軍がキプチャク・ハン国に勝利。
キオッジャの戦いでヴェネツィアジェノヴァに勝利し覇権を確立する。
胡惟庸の獄。洪武帝中書省を廃止し、六部を皇帝の直属とする。
1381年
イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。
明で全国に里甲制を導入し、魚鱗図冊・賦役黄冊の作成を行う。
1382年
明で錦衣衛が創設される。
1383年
長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
1385年
ポーランド王国リトアニア大公国がクレヴォの合同を結ぶ。
ジョアン1世がアヴィス王朝を創始。アルジュバロタの戦いでカスティーリャ王国軍撃破。
1386年
ポーランドリトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。
ゼンパッハの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。
イングランドで「驚嘆議会」が召集される。
1388年
ブイル・ノール湖畔の戦いで明が北元に勝利。逃亡したトグス・テムルも殺害され北元でクビライ家の皇帝(ハーン)が断絶。
イングランドで「無慈悲議会」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。
威化島回軍により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。
1389年
コソヴォの戦いで、オスマン帝国セルビアを従属させる。


1390年
明朝の朱元璋梁王国を滅ぼし、雲南地方を中国に併合。
李善長の獄。
1391年
明徳の乱。山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱。室町幕府3代将軍足利義満はこれに勝利し、幕府権力を盤石にする。
1392年
李成桂高麗を滅ぼし李氏朝鮮建国。
南北朝の合一後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代後小松天皇に渡す。
フランス国王シャルル6世が発狂する。
チベット仏教の僧ツォンカパが「ガワドンの啓示」を受ける。
1393年
オスマン帝国のタルノヴォ征服により第二次ブルガリア帝国が滅亡する。
フランスで「燃ゆる人の舞踏会」事件。
藍玉の獄。
1394年
足利義満が将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
1395年
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ神聖ローマ皇帝ヴェンツェルからミラノ公の称号を授かる(ミラノ公国の成立)。
テレク河の戦いで、ティムールがジョチ・ウルスのトクタミシュに勝利、ティムールはジョチ・ウルスの都サライを破壊。
1396年
ニコポリスの戦いで、オスマン帝国キリスト教諸国同盟軍を撃破する。
1397年
カルマル同盟成立し、デンマークが盟主となる。
足利義満が北山山荘(その一部が現在の鹿苑寺金閣)の造営を始める。
1398年
ティムールのインド北部侵攻。
1399年
足利義満の命により大内義弘の兵が朝鮮に渡って倭寇を討つ。
靖難の変。
応永の乱で、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟大内弘茂降伏。
イングランド王リチャード2世が廃位され、ヘンリー4世が即位してランカスター朝が成立。

1400年
ベトナムで胡季犛が陳朝を滅ぼし胡朝初代君主となる。