神聖ローマ帝国(メモ①)

フリードリヒ3世(Friedrich III., 1415年9月21日 - 1493年8月19日ドイツ王在位:1440年~1493年、皇帝在位:1452年~1493年)は、ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝

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オーストリア公エルンスト(鉄公)とツィンバルカ・マゾヴィエツカの間に生誕。又従兄のドイツ王アルブレヒト2世の急死後に皇帝位についた。
最初はケルンテンなどわずか3州の貧しい領主でしかなく、統治者としての決断力に欠けて臆病で気が弱く、常に借金で追われるみじめな状況であった。フス戦争で混乱に陥ったボヘミアをオスマン帝国から防衛する任をオーストリア大公に託すという理由とともに、コントロールしやすい人物というのが、選帝侯から皇帝に選ばれた理由であった。数多くの蔑称で呼ばれ、死後は「神聖ローマ帝国の大愚図」という綽名を贈られるほどであった。さらにまともに衝突した場合、歯の立たない政敵が大勢立ちはだかったが、辛抱強く敵が去るのを待ち、選帝侯らの予想に反して53年もの間帝位を占有し続け、ハプスブルク家の帝位世襲をついに成し遂げた。
フリードリヒ3世は一見、凡庸な君主であったが、敵対者はことごとく都合良く死亡し、長生きと悪運の強さで、自発的には何もしないままハプスブルク家の繁栄の基礎を築き上げた

 

マクシミリアン1世(Maximilian I., 1459年3月22日~1519年1月12日)は、ハプスブルク家出身のオーストリア大公、神聖ローマ皇帝(在位:1493年~1519年)。

”マクシミリアン”の名はローマ時代のポエニ戦争で活躍した2人のローマ人、ファビウス・マクシムス(Fabius Maximus)とスキピオ・アエミリアヌス(Scipio Aemilianus, 小スキピオ)にちなむ

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ハプスブルク家の隆盛の基礎を築きあげたことからハプスブルク家の中興の祖ともいわれ、マクシミリアン大帝と称される。また武勇に秀で立派な体躯に恵まれ、芸術の保護者であったことから、中世最後の騎士とも謳われる。ハプスブルク家ならではの多民族国家の姿が、マクシミリアン1世の時代に生み出されていった。

◎結婚政策による戦乱なき勢力拡大

「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」の言葉が示すとおり、ハプスブルク家は婚姻を通じて領土拡大を実現した。その最も成功した例はマクシミリアンの時代であった。
自身の結婚によりブルゴーニュ自由伯領、ネーデルラントを獲得した。
子フィリップとマルグリットをそれぞれカスティーリャアラゴン王家の王女フアナとアストゥリアス公王太子)フアンと二重結婚させた。マルグリットの夫フアンらの早世により、イベリア半島の大部分と、ナポリシチリアを獲得した。フィリップは早世するが、その子カールはのちにスペイン王(カルロス1世)と神聖ローマ皇帝(カール5世)を兼ね、ハプスブルク家隆盛の基礎を築いた。スペインはアメリカ大陸を征服し、日の沈まない帝国を築いた
孫フェルディナント(後の皇帝フェルディナント1世)とマリアをハンガリーのヤギェウォ家の子女と結婚させた(ウィーン二重結婚)。マリアの夫ラヨシュ2世は1526年にモハーチの戦いで戦死し、この結婚を取り決めたウィーン会議1515年)の決議に従い、ラヨシュの姉アンナの夫であるフェルディナントがハンガリーとボヘミアの王位を継承した。

神聖ローマ帝国発の文化的事業への貢献

1498年、旅から旅への日々を過ごしていたマクシミリアンは、やがて楽団を同行させるようになり、旅先での儀式はもちろん、旅の途中でも演奏をさせた。旅の楽団のメンバーは、後に作られたウィーンの王宮礼拝堂の聖歌隊に参加させ、宮廷礼拝堂少年聖歌隊と創設したが、これがウィーン少年合唱団の前身となった。
アルブレヒト・デューラー(ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。)を庇護した。
帝国の領土内に郵便制度を導入した。

 

 

15世紀の歴史

 ヨーロッパ・中東では1453年、オスマン帝国により東ローマ帝国が滅ぼされ、古代から続いてきたローマ帝国は完全に滅亡した(この事件から「中世の終わり」とする場合がある)。オスマン帝国の勢力が拡大し地中海の交易を支配すると、15世紀中頃から新たな交易ルートの開拓を目指して、ポルトガル・スペインを中心に航海ブームが起き、大航海時代に突入した。1492年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達すると大きな転機となり、ヨーロッパ諸国はしのぎを削って新大陸への進出を開始することとなる。
またフィレンツェ・ミラノ・ヴェネツィア・ローマ・ナポリの連携によるローディの和約はイタリア半島の安定をもたらし、哲学・科学・芸術などにおけるルネサンス文化は各地で発展した。その影響はアルプス以北の西ヨーロッパ諸国にも及び北方ルネサンスが形成された。また石炭がエネルギー源、暖房用として大変重要になった。
 日本では室町時代の中期にあたる。応仁の乱(1467年)、または明応の政変(1493年)以後は全国各地で戦乱が頻発し戦国時代に区分される場合が多い。戦国時代には室町幕府権力の著しい低下、幕府と守護の体制の崩壊などにより、戦国大名の乱立が起き全国動乱の時代に突入した。この動乱は約1世紀に渡り続くことになる。


1401年
足利義満が肥富某・僧祖阿らを明に派遣する。
土御門内裏の修繕が始まり、諸国に造内裏段銭を課する。
足利義満李氏朝鮮に使いを派遣する。
李氏朝鮮の太宗が中国の明朝より朝鮮国王として冊封を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。
ティムールのダマスカス占領・バグダード占領。
ダマスカスとの和平交渉でティムールと歴史家イブン・ハルドゥーンが会見。
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂青銅扉の作成競技でギベルティが優勝する。
1402年
アンカラの戦いでティムールがオスマン帝国を破る。
明の燕王が建文帝を倒して第3代成祖永楽帝として即位。
足利義満が中国の明より日本国王として冊封を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。
スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王室のパラメスワラ王子がマラッカ王国を建国。
1403年
明の永楽帝が北平を都に定める。
1404年
冊封使が初めて琉球へ来琉。日明貿易勘合貿易)始まる。
1405年
明への遠征途上のオトラルでティムールが病没。
明の成祖永楽帝鄭和を南海遠征に派遣( - 1433年)。
1406年
ベトナムの胡朝が崩壊し明へ下る。
紫禁城の建設始まる。
1407年
パリでオルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン(無畏公)の配下によって暗殺される。
朝鮮で太宗の仏教弾圧。
1408年
足利義満死去。
1409年
ピサ公会議


1410年
グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い、ポーランド王国ドイツ騎士団を破る。
鄭和の艦隊とセイロンのライガマ王国軍が交戦、鄭和は国王アラカイスワラらを捕虜とする。
周文の「芭蕉夜雨図(東京国立博物館蔵)」が描かれる。
1411年
明使の入京拒否による国交断絶( - 1432年)。
1412年
後小松天皇が譲位し、第101代称光天皇が即位。
1413年
アムール川河口の奴児干(ヌルガン)に派遣された明の女真人宦官亦失哈(イシハ)が石碑「奴児干永寧寺碑記」を建てる。
1414年
コンスタンツ公会議( - 1418年)。
マラッカ王国でイスカンダル・シャーが即位。この時期までにマラッカ王国はイスラム教に改宗する。
1415年
アジャンクールの戦い
ポルトガルセウタ攻略。
宗教改革ヤン・フスの火刑。
ホーエンツォレルン家のフリードリヒ1世が世襲ブランデンブルク選帝侯位を獲得。
1415年以前
如拙の「瓢鮎図(妙心寺塔頭退蔵院蔵)」が描かれる。
1416年
エンリケ航海王子がサグレス一帯に「王子の村」を建設し航海学校を開設。
サヴォイア公国が成立。
上杉禅秀の乱
1417年
イングランドでロラード派のジョン・オールドカースルが処刑される。
1418年
鄭和の艦隊の分団が東アフリカのマリンディに到達。
1419年
応永の外寇
ポルトガルマデイラ諸島発見。
モントロー会議で、ブルゴーニュ公ジャンが暗殺される。
フィリップがブルゴーニュ公を継ぎ、宮廷はディジョンからブリュッセルに遷される。
第一次プラハ窓外投擲事件によりフス戦争が勃発( - 1439年)。


1420年
トロワ条約でイギリス王ヘンリー5世がフランス王位継承権を認められる。
明で宦官による特務警察の東廠が設置される。
北京に天壇が設置される。
1421年
明の永楽帝が北平を北京と改名し正式に遷都する。
1422年
雲南地方で麓川の乱。
イングランド王ヘンリー5世と、フランス王シャルル6世が相次いで死去。
イングランド王ヘンリー6世が、イングランド・フランス共通の君主に選出される。
アスカーニエン家が断絶し、ヴェッティン家のフリードリヒ1世がザクセン選帝侯を継承。
ロマの集団がイタリアのボローニャに出現する。
1423年
足利義量室町幕府第5代将軍となる。
1424年
明の洪熙帝が第4代皇帝に即位。
朝鮮で世宗の仏教弾圧。
1425年
明の宣徳帝が第5代皇帝に即位。
1428年
称光天皇が没し、第102代後花園天皇が即位。
正長の土一揆
ベトナムで黎朝成立。
1429年
足利義教室町幕府第6代将軍となる。
ティムール朝君主ウルグ・ベクがサマルカンド天文台を建設。
ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放。ランス大聖堂にてフランス王シャルル7世の戴冠。


1430年
コンピエーニュの戦いで、ジャンヌ・ダルクが捕虜となる。
ブルゴーニュ公フィリップにより金羊毛騎士団が設立される。
1431年
バーゼル公会議
アゾレス諸島発見。
ルーアンにてジャンヌ・ダルクが処刑される。
アユタヤ朝によりクメール朝の都アンコールが陥落する。
1432年
ファン・エイク兄弟によるヘントの祭壇画が完成する。
鄭和の艦隊の分団がラスール朝支配のアデンからメッカに到達。
1434年
コジモ・デ・メディチフィレンツェにおける支配権を確立( - 1494年)。
ポルトガル艦隊がボジャドル岬(ボハドル岬)を通過。
世阿弥佐渡島に流される。
1435年
スウェーデンが一時的にカルマル同盟を脱する(議会の開始)。
アラスの和約でフランス王とブルゴーニュ公が和解。
明の英宗正統帝が第6代皇帝に即位。
ナポリ女王ジョヴァンナ2世死去により、アンジュー王家とアラゴン王家が王位を争う。
1437年
フェラーラ公会議
神聖ローマ皇帝ジギスムントが死去し、ルクセンブルク家が断絶。
ハプスブルク家出身の娘婿アルプレヒト2世がドイツ王となる。
1438年
パチャクテク即位によってインカ帝国は国家として再編する。
1439年
フィレンツェ公会議
フランス議会がブールジュの国本勅諚を採択。


1440年
結城合戦
1441年
嘉吉の乱
ポルトガル艦隊がブランコ岬に到達。
1442年
足利義勝室町幕府第7代将軍となる。
アラゴン王アルフォンソ5世がナポリ王位を獲得し以後定住する。
1443年
禁闕の変⇒京都で起こった後花園天皇内裏の襲撃事件。吉野朝廷南朝)の復興を唱える後南朝とされる勢力が御所に乱入し、三種の神器の一部を奪い比叡山へ逃れた。三種の神器はその後、赤松政即が奪還。
1444年
ヴァルナの戦い。
ポルトガル艦隊がセネガル川とヴェルデ岬に到達。
1446年
朝鮮の世宗のもとで「訓民正音」が公布される。
1448年
鄧茂七の乱。
東西教会合同に反対したロシア教会会議がモスクワ府主教にイオナを選出。
ロシア正教会コンスタンティノポリス教会から事実上の独立を果たす。
1449年
明で土木の変。皇帝英宗正統帝がオイラートのエセン・ハーンの捕虜となる。景泰帝が第7代皇帝に即位。
ティムール朝の君主ウルグ・ベクが暗殺される。
足利義政室町幕府第8代将軍となる。


1450年
フランチェスコスフォルツァがミラノ公となる。
1453年
オスマン帝国コンスタンティノポリスを陥落させ、東ローマ帝国滅亡
カスティヨンの戦いによりボルドーがフランス軍に帰順し英仏百年戦争が終結。
エセン・ハーンがモンゴルのハーンとして即位するが、反発が強く翌1454年に殺害される。
1454年
享禄の土一揆が徳政を要求する。
ローディの和で、イタリアの五大国による和平協定が結ばれる。
ブルゴーニュ公フィリップがリールにて「雉の誓いの祝宴」を行う。
1455年
イングランドで、ヨーク家とランカスター家による王位争い(薔薇戦争)始まる。
ヨハネス・グーテンベルク活版印刷で聖書を印刷(グーテンベルク聖書)。
1456年
復権裁判法廷により処刑されたジャンヌ・ダルクの無罪が宣告される。
1457年
明で奪門の変により、英宗天順帝が第8代皇帝に重祚
後南朝皇胤の自天王・忠義王が殺害され赤松氏遺臣により神璽が奪回される(長禄の変)。
太田道灌江戸城を築く。


1460年
ポルトガル艦隊がシエラレオネに到達。
1461年
曹欽の乱が鎮圧され、曹吉祥が自殺する。
寛正の大飢饉
マーチ伯エドワードがイングランド王に選出され(エドワード4世)、ヘンリー6世が廃位される。
1462年
カスティーリャジブラルタルを占領。
1464年
後花園天皇が譲位し、第103代後土御門天皇が即位。
明の成化帝が第9代皇帝に即位。
1466年
文正の政変。
1467年
応仁の乱( - 1477年)。室町幕府が衰退し、戦国時代へ。
1468年
雪舟が遣明船で明へ渡航する( - 1469年)。
ブルゴーニュのシャルル突進公によるリエージュの占領と破壊。
1469年
ティムール朝サマルカンド政権とヘラート政権に分裂する。


1470年
ウォリック伯とクラレンス公によりヘンリー6世がイングランド王に復位。
しかし1年ももたずに政権は崩壊し、翌1471年にヘンリー6世は殺害される。
1471年
黎聖宗がチャンパ王国のヴィジャヤ王朝を滅ぼし領土を併合する。
チャンパ王国の王子シャー・パウ・リン(後のアリ・ムハヤット・シャー)が亡命しスマトラ島アチェ王国を建国。
1472年
モスクワ大公イヴァン3世が東ローマ帝国の皇女ソフィヤと結婚。
ワッタース朝フェズ王国が成立する。
1473年
足利義尚室町幕府第9代将軍となる。
1474年
越前一向一揆
1476年
青松寺開創。
1477年
ナンシーの戦いでブルゴーニュ公シャルル(突進公)がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。
ブルゴーニュ公国のうちネーデルラントは娘のマリー女公とその夫君であるマクシミリアン1世(のちの神聖ローマ皇帝)が継承。
1478年
パッツィ家の陰謀事件。
スペイン異端審問の始まり。
モスクワ大公イヴァン3世がノヴゴロド公国を併合。
1479年
スペイン王国成立。
アルカソヴァス条約。
オロモウツの和約でハプスブルク家オーストリアの支配権を失う( - 1490年)。
アステカ皇帝アシャヤカトルが「太陽の石」をテノチティトラン(現メキシコシティ)に奉献する。


1480年
ウグラ河畔の対峙により、モスクワ大公国のイヴァン3世がキプチャク・ハン国から自立(ロシア帝国の起源)。
フィレンツェナポリと平和協定を締結し、ローマ教皇の反メディチ包囲網は崩壊。
越中一向一揆
1481年
プロヴァンス伯領をフランス王ルイ11世が相続する。
1482年
足利義政が東山山荘(その一部が現在の慈照寺銀閣)の造営を始める。
1483年
イングランド王エドワード4世が急死。息子のエドワード5世が即位するも、叔父グロスター公により退位させられる。
ロスター公がリチャード3世として即位する。
1484年
バニョーロの和議。
1485年
ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒す。
ヘンリー・テューダーがイングランド王ヘンリー7世として即位。テューダー朝始まる。
山城国一揆
1487年
明の弘治帝が第10代皇帝に即位。
六角征伐の鈎の陣( - 1489年)。
1488年
ポルトガルバルトロメウ・ディアス喜望峰に到達する。
加賀一向一揆
1489年
メジナデルカンポ条約。


1490年
足利義材室町幕府第10代将軍となる。
1491年
コンゴ王ンジンガ・ンクウがポルトガルの宣教師から洗礼を受け、洗礼名ジョアン1世を名乗る。
フランス国王シャルル8世がアンヌ・ド・ブルターニュと結婚。
1492年
ナスル朝が滅亡しレコンキスタ完了。
クリストファー・コロンブスカリブ海の島々に航海。いわゆる新大陸の発見。
スペインからのユダヤ教徒追放令。
1493年
明応の政変により足利義材が将軍職から追放される(日本の戦国時代の幕開けとされる)。
教皇アレクサンデル6世により教皇子午線が決定される。
サンリスの和約により、ブルゴーニュ公遺領の正式分割が決定。
1494年
スペインとポルトガルがトルデシリャス条約を締結。
フランス王シャルル8世のイタリア遠征(イタリア戦争の始まり)。その途上、フィレンツェメディチ家が追放される。
足利義澄室町幕府第11代将軍となる。
1495年
神聖ローマ帝国のヴォルムス帝国議会
皇帝マクシミリアン1世による「帝国改造」として「永久ラント平和令」が布告され、帝国最高法院が設置される。
北条早雲(伊勢盛時)が足利茶々丸を追放し堀越公方を滅ぼす。
1496年
ローマ教皇アレクサンデル6世により、スペイン国王夫妻フェルナンドとイサベルが「カトリック両王」の称号を授けられる。
1498年
南アメリカ大陸発見。ヴァスコ・ダ・ガマがインドまで航海。
フィレンツェサヴォナローラが処刑される。
明応地震で、かつて淡水湖であった浜名湖津波により太平洋とつながる。
1499年
シュヴァーベン戦争での勝利によりスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取る。


1500年
ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到着。
神聖ローマ帝国アウクスブルク帝国議会
シャイバーニー朝によりティムール朝サマルカンド政権が崩壊。
後土御門天皇が没し、第104代後柏原天皇が即位。
1500年頃
応仁の乱で途絶えていた祇園祭が京都の町衆により再興される。

14世紀の歴史

【14世紀の歴史】
 世界ではペスト(黒死病)が大流行し全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。その後、ギリシア、ローマ古典古代の文化を復興しようとする文化運動が始まった、まず14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に文化運動が広がった
 一方、日本では鎌倉幕府における北条得宗専制体制が末期となり、非北条系の御家人らの不満が爆発。朝廷では政治の一新を狙う後醍醐天皇が即位し、足利尊氏新田義貞らの有力御家人、楠木正成ら悪党らの活躍によって鎌倉幕府が滅亡した。その後後醍醐天皇による建武の新政は御家人の不満を解消することにならず、足利尊氏が新たに武家政権創設を目指した。朝廷も戦乱に引きずられ南北朝に分裂し、室町幕府が成立するが、戦乱が続いた。14世紀末に室町幕府3代将軍足利義満の時代に南北朝合一を果たし、幕府に脅威となる有力守護大名を抑制、室町幕府は安定・最盛期を迎えることになる。

1301年
<中国・元>オゴタイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。
後伏見天皇が譲位し、第94代後二条天皇が即位。
北条師時鎌倉幕府第10代執権に就任。
ハンガリー国王アンドラーシュ3世の死によりアールパード朝が断絶。
イングランド王エドワード1世が王子エドワードに「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授ける。⇒イングランド王位継承者としての「プリンス・オブ・ウェールズ」の始まり。
1302年
教皇ボニファティウス8世の回勅「ウナム・サンクタム(唯一聖なる)」。
フランス王フィリップ4世による三部会の招集。
ブリュージュの朝課事件と、続く金拍車の戦い(コルトレイクの戦い)でフランドルがフランスから独立。
1303年 アナーニ事件⇒フランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件。フランスの絶対王政化と教皇権の衰退を示す象徴的事件となる。
1305年
元のテムル(成宗)にオゴタイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。
嘉元の乱(北条宗方の乱)。
1306年
チャガタイ家のドゥアがアルタイ山脈以西からオゴタイ家を追放し中央アジアを統一。
ボヘミア国王ヴァーツラフ3世の死によりプシェミスル朝が断絶。
ロバート1世がスクーンでスコットランド国王として戴冠する。
1307年
フランス王フィリップ4世が国内のテンプル騎士団団員を一斉に逮捕。
ハルジー朝のマリク・カーフールの南征始まる。
ヤーダヴァ朝(1307年)、チャンデーラ朝(1309年)、カーカティーヤ朝(1310年)、ホイサラ朝・パーンディヤ朝(1311年)に遠征、貢納を約束させる。
1308年
神聖ローマ皇帝アルブレヒト1世が甥ヨーハンに暗殺される。
ハンガリー国王カーロイ1世が即位し、ハンガリーアンジュー朝が成立。
後二条天皇が没し、第95代花園天皇が即位。
守邦親王鎌倉幕府第9代将軍となる。
ルーム・セルジューク朝滅亡。
1309年
アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)。
聖ヨハネ騎士団がロドス島を奪取し、ロドス騎士団と呼ばれる。


1311年
ヴィエンヌ公会議
イングランドのリンカン大聖堂が完成。尖塔までの高さは160mで初めてクフ王のピラミッドの高さを超えた建造物となる。
北条宗宣鎌倉幕府第11代執権に就任。
1312年
北条煕時鎌倉幕府第12代執権に就任。
ジェノヴァの航海者ランチェロット・マルチェロカナリア諸島に到達。
1314年
バノックバーンの戦いで、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。
フランスで「ネールの塔」事件が発覚する。国王フィリップ4世が死去。
1315年
北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。
1315年-1321年頃
ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷河期。
1316年
北条高時鎌倉幕府第14代執権に就任。
1317年
鎌倉幕府持明院大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる(文保の和談)。
アヴィニョン教皇ヨハネス22世の回勅「クォルムダム・エクスィギト」により清貧論争が激化。
1318年
花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
イル・ハン国宰相であったラシードゥッディーンが処刑される。

1320年
デリーでトゥグルク朝が成立。
1320年の羊飼い十字軍。
スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。
1321年
ダンテ・アリギエーリが『神曲』を完成させ、この年に死去。
1322年
ミュールドルフの戦いで、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。
1323年
南坡の変で、元の皇帝シデバラ(英宗)が御史大夫テクシに暗殺される。
この頃、元から日本へ向かう東福寺造営料唐船が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没(新安沈船)。
1324年
後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。
マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。
1325年
イブン・バットゥータのメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり( - 1355年)。
アステカ人がテスココ湖の島に都市テノチティトランを築く。
1326年
嘉暦の騒動
北条貞顕鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。
北条守時鎌倉幕府第16代執権に就任。
チャガタイ・ハン国の東西分裂。
オッカムのウィリアムが異端宣告を受ける。
1327年
王妃イザベラによりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。
ジェーラムの戦いで、ムハンマド・ビン・トゥグルクがチャガタイ・ハン国を撃破。
1328年
元で天暦の内乱。
フランスでカペー朝が断絶。フィリップ6世が即位しヴァロワ朝が始まる。
キエフと全ルーシの府主教座がウラジーミルからモスクワに遷される。
1329年
マイスター・エックハルト(1328年に死去)の著作と教説が異端宣告される。


1330年
イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。
1331年
元弘の乱( - 1333年)。
8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。
9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。
10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。
1332年
鎌倉幕府後醍醐天皇隠岐島に流す。
1333年 鎌倉幕府の滅亡
2月 後醍醐天皇隠岐島を脱出し、船上山の戦いで幕府軍を退ける。
5月 足利尊氏六波羅探題を制圧する。
5月 新田義貞が鎌倉を陥落させる。東勝寺で北条氏一族郎党が自害(東勝寺合戦)。
5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。
建武の新政の始まり。
6月 後醍醐天皇が京都に入る。
7月 記録所を復置する。
9月 雑訴決断所を設置する。
1334年
二条河原の落書が書かれる。
南禅寺を五山の第一とする。
スコットランド王デイヴィッド2世がフランスに亡命。
1335年
北条時行中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害。
ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。
イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。
1336年
建武政権の崩壊。
3月 筑前国多々良浜の戦い足利尊氏が多々良浜に菊池武敏を破る。
5月 湊川の戦い足利尊氏新田義貞楠木正成を破る。
11月 後醍醐天皇北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が「建武式目」を定める。
12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れる(南北朝分立(1336年 - 1392年))。
ハリハラとブッカがトゥグルク朝から独立を宣言し、ヴィジャヤナガル王国を建国。
1337年
イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。
フランドル伯を追放したヤコブ・ヴァン・アルテベルデがフランドル都市連合を結成する。
1338年
室町幕府の成立
5月 北畠顕家高師直らと堺浦石津に戦うが敗死。
7月 新田義貞斯波高経らと越前藤島で戦うが敗死。
8月 北朝足利尊氏征夷大将軍とする。足利尊氏室町幕府初代将軍となる。

レンゼ選帝侯会議により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。
1339年
8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇、52歳で没する。


1340年
サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝イベリア半島から撤退。
ハールィチ・ヴォルィーニ戦争始まる( - 1392年)。
1341年
塩冶高貞高師直の讒言により討たれる。
東ローマ帝国ヨハネス5世とヨハネス6世の帝位争い。この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失。
1344年
アラゴン王国バレアレス諸島マヨルカ王国を併合。
1345年
足利尊氏夢窓疎石を開山に迎え天龍寺が創建される。
1346年
クレシーの戦い。
ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。
デンマーク王ヴァルデマー4世がエストニアドイツ騎士団に売却する。
1347年
ペストが流行し、ヨーロッパや北アフリカの人口が激減( - 1351年)。
カレー包囲戦によりカレー市がイングランド軍に降伏(「カレーの市民」)。
1348年
南アルプスのフリウリ地方からケルンテン地方に至る大地震発生。フィラッハで最大級の被害。
四條畷の戦いで、高師直楠木正行を敗死させる。
イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。ガーター勲章も制定。
1349年
京都四条河原で「(貞和5年の)桟敷崩れの勧進田楽」。
セルビアで「ドゥシャン法典」が公布される。


1350年
タイでアユタヤ王朝成立。
室町幕府足利直義高師直との抗争が勃発(観応の擾乱 - 1352年)。
1351年
紅巾の乱。
正平の一統。
ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス主催の教会会議で静寂主義(ヘシュカスム)の教義が勝利する。
1352年
応安の半済令施行。
1353年
イルハン朝の滅亡。
1356年
神聖ローマ皇帝カール4世によって、帝国の基本的な体制を規定する金印勅書が発布される。
ポワティエの戦い。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。
元朝で交鈔が廃止になる。
1357年
ポルトガル国王ペドロ1世の即位。惨殺された愛妾イネス・デ・カストロを王妃として復権させる。
1358年
足利義詮室町幕府第2代将軍となる。
ジャックリーの乱。
商人ハンザと都市ハンザの統合でハンザ都市同盟が正式に発足。
ルドルフ4世(建設公)がオーストリア大公を自称する。
1359年
キプチャク・ハン国ジョチ・ウルス)、君主(ハーン)乱立時代に入る( - 1378年)。


1360年
ブレティニ・カレー条約が結ばれる。
イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王のガスコーニュ・ギュイエンヌ領有をフランス王は承認。
1361年
康安の変で、幕府執事細川清氏が佐々木道誉らにより失脚させられる。
スコータイ朝のリタイ王がスリランカから高僧を招き出家する。
これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。
1362年
デンマークハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年)。
1363年
ヴァロワ家のフィリップ豪胆公がブルゴーニュ公となる(ブルゴーニュ公国の成立)。
?陽湖の戦い。
1366年
オスマン帝国のムラト1世がブルサからエディルネに遷都。
貞治の変で、幕府執事斯波義将とその父斯波高経佐々木道誉らに失脚させられる。
1368年
後村上天皇が没し、第98代長慶天皇が即位。
足利義満室町幕府第3代将軍となる。
朱元璋が明を建国。
アウクスブルクツンフト闘争が成功する。
1369年
カスティリア王ペドロ1世を殺害したトラスタマラ伯エンリケがエンリケ4世として王位に就く(トラスタマラ朝の成立)。
ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯マルグリット3世の結婚。


1370年
ティムール朝の成立。
リモージュの虐殺。
シュトラールズント条約がデンマークハンザ同盟で結ばれる。
1375年
アステカ王国の成立。
八聖人戦争で、フィレンツェローマ教皇庁が戦う( - 1378年)。
キリキア・アルメニア王国マムルーク朝に滅ぼされる。
1376年
イングランドで「善良議会」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。
空印の案。
1377年
イングランドで「悪政議会」が召集される。
1378年
花の御所の造営開始。
教会大分裂(シスマ)。
フィレンツェでチョンピの乱が起きる。
1379年
康暦の政変で、管領細川頼之が斯波義将らに失脚させられる。


1380年
クリコヴォの戦いでルーシ諸侯連合軍がキプチャク・ハン国に勝利。
キオッジャの戦いでヴェネツィアジェノヴァに勝利し覇権を確立する。
胡惟庸の獄。洪武帝中書省を廃止し、六部を皇帝の直属とする。
1381年
イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。
明で全国に里甲制を導入し、魚鱗図冊・賦役黄冊の作成を行う。
1382年
明で錦衣衛が創設される。
1383年
長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
1385年
ポーランド王国リトアニア大公国がクレヴォの合同を結ぶ。
ジョアン1世がアヴィス王朝を創始。アルジュバロタの戦いでカスティーリャ王国軍撃破。
1386年
ポーランドリトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。
ゼンパッハの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。
イングランドで「驚嘆議会」が召集される。
1388年
ブイル・ノール湖畔の戦いで明が北元に勝利。逃亡したトグス・テムルも殺害され北元でクビライ家の皇帝(ハーン)が断絶。
イングランドで「無慈悲議会」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。
威化島回軍により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。
1389年
コソヴォの戦いで、オスマン帝国セルビアを従属させる。


1390年
明朝の朱元璋梁王国を滅ぼし、雲南地方を中国に併合。
李善長の獄。
1391年
明徳の乱。山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱。室町幕府3代将軍足利義満はこれに勝利し、幕府権力を盤石にする。
1392年
李成桂高麗を滅ぼし李氏朝鮮建国。
南北朝の合一後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代後小松天皇に渡す。
フランス国王シャルル6世が発狂する。
チベット仏教の僧ツォンカパが「ガワドンの啓示」を受ける。
1393年
オスマン帝国のタルノヴォ征服により第二次ブルガリア帝国が滅亡する。
フランスで「燃ゆる人の舞踏会」事件。
藍玉の獄。
1394年
足利義満が将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
1395年
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ神聖ローマ皇帝ヴェンツェルからミラノ公の称号を授かる(ミラノ公国の成立)。
テレク河の戦いで、ティムールがジョチ・ウルスのトクタミシュに勝利、ティムールはジョチ・ウルスの都サライを破壊。
1396年
ニコポリスの戦いで、オスマン帝国キリスト教諸国同盟軍を撃破する。
1397年
カルマル同盟成立し、デンマークが盟主となる。
足利義満が北山山荘(その一部が現在の鹿苑寺金閣)の造営を始める。
1398年
ティムールのインド北部侵攻。
1399年
足利義満の命により大内義弘の兵が朝鮮に渡って倭寇を討つ。
靖難の変。
応永の乱で、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟大内弘茂降伏。
イングランド王リチャード2世が廃位され、ヘンリー4世が即位してランカスター朝が成立。

1400年
ベトナムで胡季犛が陳朝を滅ぼし胡朝初代君主となる。

世界史における主な条約一覧

843年 - ヴェルダン条約 - フランク王国の分割相続
870年 - メルセン条約 - フランク王国の最終分割相続
1236年 - ヨーク条約
1360年 - ブレチニー条約 
1412年 - ルボフラ条約
1454年 - ローディの和 - イタリア五大国による和平協定
1479年 - オロモウツの和約 - ハンガリー王によるオーストリア支配
1494年 - トルデシリャス条約
1529年 - サラゴサ条約
1555年 - アウクスブルクの和議
1559年 - カトー・カンブレジ条約 - イタリア戦争の講和条約
1617年 - ストルボヴァの和約
1618年 - デウリノの和約
1629年 - アルトマルクの和議
1629年 - リューベックの和議
1635年 - プラハ条約
1645年 - ブロムセブローの和議
1648年 - ヴェストファーレン条約 - ヨーロッパ、三十年戦争講和条約
1658年 - ロスキレ条約
1659年 - ピレネー条約
1660年 - オリヴァー条約
1668年 - アーヘンの和約
1679年 - ナイメーヘンの和約
1689年 - ネルチンスク条約 - ロシアと清の国境画定
1697年 - ライスワイク条約(レイスウェイク条約):1688年に勃発した大同盟戦争(アウクスブルク同盟戦争、ファルツ継承戦争)を終結

1699年 - カルロヴィッツ条約:オスマン帝国は初めてヨーロッパ諸国に領土を割譲し、オーストリア三十年戦争以来の長期の低迷を脱して中ヨーロッパへの拡大を開始する契機

1700年 - トラヴェンタール条約
1703年 - メシュエン条約
1706年 - アルトランシュテットの和議
1713年 - ユトレヒト条約
1714年 - ラシュタット・バーデン条約
1718年 - パッサロヴィッツ条約
1720年 - ストックホルム条約
1721年 - ニスタット条約 - 大北方戦争講和条約
1727年 - キャフタ条約
1738年 - ウィーン予備条約 - ポーランド継承戦争講和条約
1739年 - ベオグラード条約
1748年 - アーヘンの和約
1763年 - パリ条約 - 七年戦争講和条約
1763年 - フベルトゥスブルク条約
1774年 - キュチュク・カイナルジャ条約
1783年 - パリ条約 - アメリカ独立革命講和条約
1792年 - ヤシ条約
1795年 - バーゼルの和約
1797年 - カンポ・フォルミオの和約

19世紀の主要条約一覧
1802年 - アミアンの和約
1807年 - ティルジット条約
1809年 - フレデリクスハムンの和約
1810年 - パリ条約
1814年 - キール条約
1814年 - パリ条約
1814年 - ガン条約
1815年 - ウィーン議定書 - ウィーン会議、ヨーロッパ、ナポレオン戦争講和条約
1815年 - パリ条約 - ナポレオン戦争講和条約
1826年 - アッケルマン条約
1828年 - トルコマーンチャーイ条約
1832年 - コンスタンティノープル条約 - ギリシャの独立条約
1840年 - ワイタンギ条約
1842年 - 南京条約
1846年 - マヤリノ=ビドラク条約
1854年 - 日米和親条約
1854年 - 日英和親条約
1855年 - 日露和親条約
1856年 - パリ講和条約 - クリミア戦争講和条約
1858年 - 日米修好通商条約
1858年 - 天津条約
1858年 - アイグン条約 - 璦琿条約
1860年 - 北京条約 - 天津条約の批准交換と追加条約
1863年 - ジュネーブ条約
1866年 - プラハ条約 - 普墺戦争講和条約
1867年 - 樺太島仮規則
1871年 - 日清修好条規
1875年 - 樺太・千島交換条約
1878年 - サン・ステファノ条約
1878年 - ベルリン条約
1881年 - イリ条約
1883年 - パリ条約 - 工業所有権の保護に関するパリ条約
1883年 - アンコン条約
1884年 - バルパライソ条約
1885年 - 天津条約 - 日清間
1885年 - 天津条約 - 清仏間
1886年 - ベルヌ条約-文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約
1893年 - ウッチャリ条約
1894年 - 日英通商航海条約
1894年 - 日米通商航海条約
1895年 - 下関条約 - 日清戦争講和条約
1896年 - アディスアベバ条約
1896年 - 日清通商航海条約
1899年 - ハーグ陸戦条約

20世紀の主要条約一覧
1905年 - ポーツマス条約 - 日露戦争講和条約
1905年 - 日韓保護条約
1907年 - ハーグ陸戦条約 - 改定
1910年 - 日韓併合条約
1912年 - ハーグ阿片条約
1914年 - 1914年の海上における人命の安全のための国際条約
1915年 - ロンドン密約
1918年 - ブレスト・リトフスク条約 - 革命ロシアが第一次世界大戦から離脱
1919年 - ヴェルサイユ条約 - 第一次世界大戦講和条約
1919年 - サン=ジェルマン条約
1919年 - トリアノン条約 - 第一次世界大戦後、ハンガリー王国との講和条約
1919年 - ヌイイ条約
1920年 - セーヴル条約
1921年 - 英愛条約
1922年 - ワシントン海軍軍縮条約
1923年 - ローザンヌ条約
1925年 - 日ソ基本条約
1925年 - ロカルノ条約
1926年 - 日ソ漁業条約
1928年 - パリ不戦条約
1928年 - 国際博覧会条約
1929年 - ラテラノ条約
1929年 - ワルソー条約
1930年 - ロンドン条約
1933年 - モンテヴィデオ条約 - 国の権利および義務に関する条約
1936年 - モントルー条約
1936年 - 日独防共協定 - 共産「インターナショナル」に対する協定及附属議定書
1937年 - 日独伊防共協定
1938年 - ブエノスアイレス講和条約
1939年 - 独ソ不可侵条約
1940年 - 日泰和親友好条約
1941年 - 日ソ中立条約
1941年 - 日泰攻守同盟条約
1945年 - 国際連合憲章
1945年 - 国際司法裁判所規程
1948年 - ジェノサイド条約
1948年 - 世界人権宣言
1948年 - 米州機構の設立
1949年 - 北大西洋条約 - 北大西洋条約機構の設立
1949年 - ジュネーヴ諸条約 (1949年)
1950年 - ヨーロッパ人権条約
1951年 - サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)
1951年 - パリ条約 - 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立
1951年 - 旧・日米安全保障条約日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
1951年 - 米比相互防衛条約
1951年 - 太平洋安全保障条約
1951年 - 難民条約(難民の地位に関する条約
1952年 - 万国著作権条約
1953年 - フランス・ラオス条約
1953年 - 米韓相互防衛条約
1954年 - 民事訴訟手続に関する条約
1954年 - 武力紛争の際の文化財の保護に関する条約
1954年 - 東南アジア条約 - 東南アジア条約機構の設立
1955年 - ワルシャワ条約 - ワルシャワ条約機構の設立
1956年 - 子に対する扶養義務の準拠法に関する条約 - ハーグ国際私法会議によるハーグ条約のひとつ
1958年 - 外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約 - いわゆるニューヨーク条約
1959年 - 南極条約 - 南極の平和利用
1960年 - 新・日米安全保障条約日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
1961年 - 遺言の方式に関する法律の抵触に関する条約 - ハーグ国際私法会議によるハーグ条約のひとつ
1961年 - 外国公文書の認証を不要とする条約 - ハーグ国際私法会議によるハーグ条約のひとつ
1963年 - 部分的核実験禁止条約(大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約)
1965年 - 日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)
1965年 - 人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)
1965年 - 民事又は商事に関する裁判上の文書の外国における送達及び告知に関する条約 - ハーグ国際私法会議によるハーグ条約のひとつ
1966年 - 難民議定書
1966年 - 国際人権規約自由権規約社会権規約自由権規約第1選択議定書)
1966年 - 宇宙条約(月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約)
1967年 - トラテロルコ条約(ラテンアメリカにおける核兵器の禁止に関する条約)
1968年 - 核拡散防止条約(核不拡散条約、NPT)
1968年 - 意匠の国際分類を定めるロカルノ協定(ロカルノ協定)
1969年 - ウイーン条約法条約
1970年 - 特許協力条約(PCT)
1970年 - 航空機の不法な奪取の防止に関する条約 - ハイジャック防止条約
1971年 - ラムサール条約特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約
1972年 - 生物兵器禁止条約(細菌兵器及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約)
1972年 - 第一次戦略兵器制限交渉
1972年 - 弾道弾迎撃ミサイル制限条約
1972年 - ロンドン条約(1972年の廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約)
1973年 - アパルトヘイト条約
1973年 - ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)
1973年 - 外交官等保護条約
1973年 - 扶養義務の準拠法に関する条約 - ハーグ国際私法会議によるハーグ条約のひとつ
1973年 - マルポール条約(海洋汚染防止条約)
1974年 - 日韓大陸棚条約
1974年 - 海上における人命の安全のための国際条約
1976年 - 東南アジア友好協力条約
1978年 - 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
1979年 - 女子差別撤廃条約女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約
1979年 - 第二次戦略兵器制限交渉
1979年 - エジプト・イスラエル平和条約
1980年 - 特定通常兵器使用禁止制限条約
1980年 - 国際物品売買契約に関する国際連合条約(ウィーン売買条約)
1980年 - 国際的な子の奪取の民事面に関する条約(ハーグ条約
1982年 - 国際連合海洋法条約(海洋法に関する国際連合条約
1982年 - ナイロビ国際電気通信条約(旧条約)
1984年 - 拷問等禁止条約
1985年 - ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)
1985年 - オゾン層の保護のためのウィーン条約
1987年 - 中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)
1989年 - バーゼル条約(有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約
1989年 - 児童の権利に関する条約(子どもの権利に関する条約)
1990年 - ヨーロッパ通常戦力条約
1990年 - OPRC条約(1990年の油による汚染に係る準備、対応及び協力に関する国際条約)
1991年 - 第一次戦略兵器削減条約
1992年 - マーストリヒト条約欧州連合条約)
1992年 - 生物多様性条約(生物の多様性に関する条約)
1992年 - 国際電気通信条約(新条約)
1992年 - 気候変動枠組条約気候変動に関する国際連合枠組条約
1992年 - 北太平洋における溯河性魚類の系群の保存のための条約
1993年 - 第二次戦略兵器削減条約
1993年 - 化学兵器禁止条約化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約)
1994年 - イスラエルとヨルダンの平和条約
1994年 - エネルギー憲章に関する条約
1995年 - 世界貿易機関を設立するマラケシュ協定(WTO協定)
1995年 - バンコク条約(東南アジア非核地帯条約)
1996年 - 包括的核実験禁止条約 - 地下を含む核実験禁止条約(CTBT
1996年 - ペリンダバ条約(アフリカ非核地帯条約)
1996年 - 実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約(レコード条約)
1997年 - 対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(対人地雷禁止条約、オタワ条約
1997年 - 気候変動枠組条約京都議定書地球温暖化を予防するための温室効果ガスの排出量削減を定める議定書)
1998年 - 国際刑事裁判所規程
1998年 - ロッテルダム条約(有害化学物質等の輸出入の事前同意手続に関するロッテルダム条約、PIC条約)
1999年 - アムステルダム条約 - マーストリヒト条約及びローマ条約の内容改変
1999年 - 女子差別撤廃条約の選択議定書

21世紀の主要条約一覧
2000年 - 特許法条約
2000年 - 中西部太平洋まぐろ類条約
2000年- 国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約 (国際組織犯罪防止条約、パレルモ条約)
2001年 - ニース条約 - ローマ条約とマーストリヒト条約の修正
2001年 - サイバー犯罪に関する条約
2001年 - 残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約
2001年 - 中露善隣友好協力条約
2002年 - モスクワ条約(アメリカ合衆国ロシア連邦との間の戦略的攻撃(能力)の削減に関する条約)
2003年 - たばこ規制枠組条約
2003年 - 無形文化遺産の保護に関する条約
2003年 - 腐敗の防止に関する国際連合条約
2004年 - 万国郵便条約
2005年- 核によるテロリズムの行為の防止に関する国際条約
2006年 - シンガポール条約(商標法に関するシンガポール条約)
2006年 - 強制失踪防止条約
2006年 - 障害者権利条約
2007年 - リスボン条約
2007年 - ASEAN憲章
2008年 - クラスター爆弾禁止条約(クラスター弾に関する条約、オスロ条約)
2010年 - 航空機の不法な奪取の防止に関する条約の追加議定書
2011年 - 北極捜索救助協定
2012年 - バンサモロに関する合意の枠組み
2013年 - 武器貿易条約(ATT)
2013年 - 水銀に関する水俣条約水俣条約)

戦乱の16世紀

 人類の歴史は戦争の歴史の連続。と言われてしまうと身も蓋もないが、特に16世紀は世界各地、そして日本において戦乱の世と特筆できるだろう。欧州では宗教戦争による憎悪が激しく渦巻き、

・1546年~1547年にカトリック教会側:神聖ローマ皇帝カール5世とプロテスタント側諸侯=シュマルカルデン同盟が争ったシュマルカルデン戦争

・1562年~1598年にフランスにおいて新教・旧教が激突したユグノー戦争

が起こっている。欧州内が混乱する中、イスラム世界の欧州への進撃も激しく、

・1529年にオスマントルコ帝国が第一次ウィーン包囲を敢行し、ウィーン攻略失敗に終わるものの中央ヨーロッパしかも権威的存在である神聖ローマ帝国の中枢にまで侵攻したことはキリスト教を信奉する欧州諸国に強い衝撃を与えた。

上記のようにイスラム世界は1520年~1566年にスレイマン1世の治世下で東西に積極的な遠征をおこない勢力の拡張を図った。一方、転じて日本に目を向けると戦国時代真っ只中である。

・1546年には北条氏河越夜戦で関東支配を確立

・1553年~1564年の間5次にわたる川中島の戦いが上杉氏と武田氏で激戦

・1561年には桶狭間の戦い織田信長今川義元を撃破

など日本全国で著名な戦いが繰り広げられており、16世紀当時、世界で最も鉄砲を量産・保有していた国は日本ともされている。世界中での継続的な戦乱は既存の宗教システムや国家の統治システムにも多大な影響を与えた。特に欧州、日本において共通するのは宗教の普遍的権威がますます弱体化したことである。欧州の新教・旧教の対立は、絶対王政による統治の嚆矢となり、日本においては伝統的な仏教などは新たに伝来したキリスト教に直面し、織田信長豊臣秀吉徳川家康、そして西国のキリシタン大名などの政治的経済的駆け引きに埋没していく。

 このような戦乱を経て欧州諸国、日本は近世へと進んでいく。欧州諸国はこの戦乱の世紀が次の世紀にも継続し、”17世紀の危機”と呼ばれる状況にまで至る。しかし戦争は多大な犠牲の一方で政治経済、科学に大きな影響を与え続け、欧州諸国では一気に近代世界へと変化していく。

 

宗教改革史(メモ)

【1415】 ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者フス、コンスタンツ公会議で異端とされ、火刑
1483】 ルター、アイスレーベン(ドイツ東部)に生まれる(~1546)
1484】 ツウィングリ、ウィルトハウス(スイス)に生まれる(~1531)
1509】 カルバン、ノアイヨン(フランス)に生まれる(~1564)
1512】 ルター、聖書学の講義を開始
1516】 エラスムス『校訂新約聖書』(マルティン・ルターのドイツ語訳聖書の原版)を刊行
1517】 ルター『九十五か条の論題』を発表
1519】 ツウィングリ、チューリヒで改革開始。ルター、ライプツィヒでエックと討論会(ライプツィヒ討論)
1520】 ルター『ドイツ国民のキリスト教貴族に与う』を刊行、教皇の破門脅迫状を焼く→ルターが初めてドイツ人としての国民意識に立ち,ローマ教皇勢力による厳しい財政的収奪,聖職売買,それ以外の国民生活を圧迫し正当な信仰をそこなうあらゆる悪弊を列挙し,教会当局者が無能を暴露した現在,統治権力を神に委任された貴族(実際には領邦君主たるドイツ諸侯)に,教会生活全般の改革を支援するよう呼びかけた。
1521】 ルター、ウォルムス国会で帝国追放処分刑(ウォルムス勅令)、『新約聖書』のドイツ語翻訳(ルター訳聖書)。メランヒトン『神学綱要』を刊行
1522】 ジッキンゲンら「騎士戦争」を起こす
1523】 ツウィングリ『六十七か条の論題』を第一回チューリヒ討論会に提出
1524】 ドイツ農民戦争始まる(~1525)。エラスムス『自由意志論』を刊行
1525】 ルター『農民の殺人・強盗団に抗して』刊行。ルター『奴隷意志論』により、エラスムスとの自由意志論争を起こす。ミュンツァー処刑される
1526】 第一回シュパイエル国会、ウォルムス勅令の実施を延期する
1527】 ザクセン選帝侯領内で巡察教会制度開始される。スウェーデン宗教改革実施
1528】 ベルン市、宗教改革を導入
1529】 第二回シュパイエル国会、ウォルムス勅令の実施を求む。ルターとツウィングリ、聖餐(聖体)論をめぐってマールブルク宗教会談。イギリスで宗教改革議会(~1536)始まる
1530】 アウクスブルク国会での新・旧教の和解失敗。「アウクスブルク信仰告白」、ルター派の基本信条となる
1531】 シュマルカルデン同盟創設される。ツウィングリ、カッペルの戦いで戦死
1534】 フランスで新教徒の弾圧が激化し、カルバン、スイスのバーゼルへ亡命。イギリス、「国王至上法」制定
1536】 カルバン『キリスト教綱要』(初版)を刊行、ジュネーブの改革運動に参加。イギリスのヘンリー8世、修道院の解散を実施。ルター派およびツウィングリ派間に『ウィッテンベルク一致信条』、ルター主義が南ドイツに浸透。デンマーク宗教改革の実施にとりかかる
1538】 カルバン、教会規律をめぐり都市当局と闘い、ジュネーブを追放される
1539】 ニュルンベルクカトリック諸侯の同盟成立(ニュルンベルク同盟)
1540】 イエズス会認可される(イグナティウス・デ・ロヨラ
1541】 カルバン、ふたたびジュネーブで活躍
1545】 トレント公会議始まる(~1563)(反宗教改革
1546】 シュマルカルデン戦争(カトリック教会側:神聖ローマ皇帝カール5世vsプロテスタント側(シュマルカルデン同盟))始まる(~1547)
1548】 アウクスブルクの「仮信条協定」、帝国法として発布→神聖ローマ皇帝カール5世がプロテスタント勢力との妥協を図る。
1549】チューリヒ一致信条』(『第一スイス信条』、ツウィングリ派とカルバン派との一致信条)成る
1552】 イギリス、『一般祈祷書』制定
1553】 イギリスで「アウクスブルク信仰告白」を基準に『四十二か条信仰告白』成立
1555】 アウクスブルクの和議。カルバン、ジュネーブにおける地位確立
1559】 イギリス、「国王至上法」および「礼拝統一法」を制定、国教会(イングランド教会)制度確立する。フランス改革派第一回全国教会会議
1560】スコットランド信仰告白』議会で承認
1562】 ユグノー戦争(~1598)
1563】 イギリス国教会『三十九か条信仰告白』成立
1565】 オランダ、新教派「貴族同盟」を結成
1566】 オランダ、カルバン派民衆の聖像破壊
1568】 オランダ独立戦争(~1648)
1572】 サン・バルテルミーの虐殺起こる
1573】 南フランスのミヨーで、改革派が政治会議を開催。ユグノー派は国王政府から独立した政治組織を結成
1576】 フランス、過激派カトリック「旧教同盟」を結成
1579】 オランダ、カトリック派貴族「アラス同盟」を結成、これに対抗してユトレヒト同盟が成立
1593】 イギリス、「国教忌避者処罰法」制定
1598】 フランス、ナントの勅令。フランス改革派教会容認される
1618】 三十年戦争勃発(~1648)
1620】 ピューリタン会衆派、メイフラワー号で北米移住
1640】 イギリスでピューリタン革命開始

17世紀の危機(メモ)

17世紀の危機 小氷河期の到来により気候が寒冷化→農業不作による経済停滞、魔女狩りなど宗教的要因の社会不安、ペスト流行による人口減少→中世の封建的制度が次第に瓦解し、資本主義が次第に目覚めはじめる。宗教対立の激化によってその鎮圧に国王は中央集権化を推進して官僚制と常備軍の整備をしようとしたが、貴族や農民が反発してさらに混乱を生み出した。

17世紀中、小規模な紛争も連続して戦争が発生していなかった時期はわずか4年しかなかった。
【1568年~1609年】オランダ独立戦争(八十年戦争)
【1618年~1648年】三十年戦争

→「神聖ローマ帝国の死亡診断書」とも言われるウェストファリア条約が結ばれた。
【1642年~1649年】ピューリタン革命
【1648年~1653年】フロンドの乱
【1652年~1654年】第1次英蘭戦争
【1665年~1667年】第2次英蘭戦争
【1667年~1668年】ネーデルラント継承戦争
【1672年~1674年】第3次英蘭戦争
【1672年~1678年】オランダ侵略戦争
【1688年~1689年】名誉革命
【1688年~1697年】大同盟戦争